〒170-0013 東京都豊島区東池袋3-11-9 三島ビル
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川崎区(かわさきく)は、川崎市を構成する7行政区のうちの一つ。JR東海道線の東側(海側)の地域である。
川崎市の東南端である多摩川の下流から河口にかけての南側に位置し、全域が平地となっている。川崎市の7つの区の中で唯一海に面している。 海側は埋め立の造成が進んでおり、人工島の東扇島や扇島もある。扇島は全域私有地であり、首都高速湾岸線を通行する場合を除いて一般人の立入りはできない。
区内の稲毛神社は7世紀半ばの欽明天皇によって勅願所となり、平間寺(川崎大師)は平安時代後期の1128年に創建されるなど、古くから神社・仏閣の門前町が整備されていたが、都市の本格的な発展は徳川家康が東海道の整備を行い、江戸時代初期の1623年に東海道五十三次の宿場町として正式に川崎宿を設置してからである。さらに1872年には日本最初の鉄道として開業した官設鉄道(現在の東海道本線)に川崎駅が設置され、川崎は東京と横浜をつなぐ交通至便の地として急速な都市化を経験し、1924年の市制施行は現在の川崎区(その後の埋立地を除く)と西隣の幸区東部で行われた。1923年には関東大震災、1942年-1945年には第二次世界大戦による日本本土空襲で大きな被害を受けたが、その後も発展を続け、現在の市街地が形成された。
現在も川崎駅前以外では、平坦な多摩川の河口平野上に戦前から形成された住宅地に建設された戸建住宅が多く、そこに小規模な工場が点在する商工混在地域が広がっている。その点では、東海道本線や京急本線でつながる東京都大田区や横浜市鶴見区の臨海部と風情は似たものがあり、戦後の高度経済成長期に丘陵部での集合住宅建設が進められ、人口が急増しながらも一部では農地や緑地が残る川崎市北部(宮前区、麻生区など)とは異なる雰囲気がある。また、この高度経済成長期には大気汚染による川崎公害が深刻となったこともあり、川崎区の人口は一時減少したが、近年では川崎駅から離れた京急大師線沿線や東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)沿いで建売住宅やマンションの建設が進んでおり、人口は今後も増えると予測できるため、学校や病院等の公共福祉関係の充実が課題となっている。この産業道路や、それとほぼ並行する東海道貨物線の東側は広大な埋立地で、鉄鋼・機械・化学などの重化学工業の大規模工場が集約されている。京浜運河の対岸には扇島と東扇島の人工島が整備され、製鉄所や火力発電所が建設され、中央には首都高速湾岸線が走る。浮島町にある川崎浮島ジャンクションはこの湾岸線と東京湾アクアラインの接続点となり、さらに東京国際空港(羽田空港)に川崎側で最も近い地点となっているため、羽田空港の「神奈川口」構想が検討されている。
川崎駅東口には繁華街がある。第二次大戦による空襲被害から復興した銀柳街のアーケード商店街が広がり、1987年には地下街の川崎アゼリアやシネマコンプレックスのチネチッタが開業した。2002年の川崎DICEやラ チッタデッラの開業で区内の商業機能は更に強化され、幸区になる川崎駅西口のラゾーナ川崎やソリッドスクエアとの競合関係を起こしながら、川崎駅地域での商業集積を高めて、市内や近隣地域へ商圏を拡大している。川崎駅東口の商店街から国道15号線(第一京浜)を挟んだ東側にある富士見公園にはかつての川崎球場であった川崎富士見球技場や川崎競輪場、その北側には川崎競馬場が1950年前後に整備され、競輪場と競馬場では現在も公営競技のレースが開催されている。
川崎区内には川崎駅や川崎市役所など市の中枢機能が集中し、人口は決して少なくはないが、沿岸部に広大な工業用埋立地を擁するために、区の人口密度は他区に比較して低い。この数十年の人口動態の変化と東京-川崎-横浜(町田)間の鉄道網の整備から、川崎市の人口重心は川崎区から離れる傾向が続き、市内北部ではいわゆる「川崎都民」の増加がみられるため、川崎縦貫高速鉄道(2012年度をもって廃止)や川崎縦貫道路の整備、大師線の地下化などによる川崎市内の交通網整備と川崎区の活性化が構想されている。このうち、川崎縦貫道路は川崎区内の一部が首都高速神奈川6号川崎線として川崎浮島ジャンクションから大師出入口までが既に開通し、東京外かく環状道路と一体化する形でさらに西への延伸が検討されている。